だいぶ前になってしまいましたが11月4日に観光ランというイベントに参加してきました。定期的に開催されているイベントで、今回は、『なかのまちめぐり博覧会2018』というイベントの一貫として開催されていました。中野区内の名所・まちを巡ることができるというところに惹かれて、初めての参加。もちろん、中野のまち自体走るのは初めてです。
このイベントは、案内をしてくれる主催者さんについて、中野区全域の主要な名所を巡り、total21kmの距離をおそらく先に申告をしておけば、途中で抜けて終了にしてもいいという形になっています。
コースの詳細は、中野駅前の中野サンプラザからスタートして、中野セントラルパーク、平和の森公園、沼袋駅、妙正寺川、哲学堂公園、新井薬師駅、新井薬師(5km)、唱歌“たきび”の歌碑、林芙美子と吉良上野介に縁の地、落合駅、小滝橋、神田川、フォークの名曲“神田川”歌碑、淀橋、中野宿跡の石臼モニュメント、中野坂上駅付近(10km)、成願寺、鍋屋横丁、養糸の森公園、東高円寺駅、中野駅付近(16km)、桃園川緑道、高円寺駅付近、高円寺純情商店街、庚申塚商店街、中野駅付近(21km)までとなっていましたが、後半は、小雨が降りだしたため、高円寺辺りからは、コースを短縮していたように思います。
なかなか走る機会がない、初めての地『中野』をとっても楽しみにしていましたが、イベント数日前から、脚の調子がイマイチ。しかも、ラン復帰してから長い距離や長時間走をしていなかった不安もあり、スタート前は、『10kmぐらいで止めようか』と思っていましたが、スタート前に言い出すチャンスがなく、『行けるところまで行ってみるか!』と覚悟を決め走り出しました。
参加者は5人。まず、最初にビックリしたのは、案内してくれる主催者さんが『自転車』移動だったこと。勝手に一緒に走って巡ると想像していたので、ここでかなりの衝撃。
走り出して、名所があるとそこで止まっては主催者さんが、いろいろ由来やら歴史やらをお話してくれます。なかなか勉強になります。
ただ、私の脚力がついていかない!走るのが精一杯で、街を眺める余裕などない。結局、20km近く走りきりましたが、名所に立ち寄ることがなかったら、最後まで走れなかったと思います。
しっかり走り込んでいたら、知らない地を走れ、いろいろな話も聞ける楽しいイベント。もう少し力をつけて、また、是非とも参加したいです。
スタート地点から近い、中野四季の森公園。この辺のエリアで『餃子フェス』なるものが開催されていました。帰りに寄ろうと思っていたのに、あいにくの雨で断念。
中野駅は大学が多いんですね。
沼袋駅の商店街。『とかいなか ぬまぶくろ』
なかなかのキャッチフレーズです。
明治寺
こちらにはたくさんの観音像
なかには、観音様ではないのでは?というものまで!
中野区立歴史民族資料館。大きな石臼は、中野の歴史の象徴。
江古田の森公園でちょっぴりトイレ休憩。
こちらは『哲学堂公園』。地名にも『哲学堂』が使われているそう。超カッコいい!地名が良くてこの地に住む人の気持ちがわかります。
園内には77場の哲学に由来するユニークな名前の建物や石造物、通路などが点在しています。ゆっくり散策してみたい!
哲学堂公園内にある『六賢台』です。聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅の6人が祀られています。
同じく哲学堂公園内にある『四聖堂』です。六賢台のすぐ近くに位置します。四面のいずれも正面とされ、孔子、釈迦、ソクラテス、カントを奉祀しています。
公園を開園した、哲学者・井上円了氏。哲学館(現東洋大学)創立者で、妖怪学博士としても有名なのだそう。妖怪学?ちょっと気になりますね。
先ほどの建物に行く入り口です。
こちらは、有名な新井薬師
新井薬師の正式名称は『梅照院(ばいしょういん)』というんですね。知らなかった。
当日はなにかの市が開催されていました。残念ながら時間の関係で、中には入れず。新井薬師は入り口まで。
唱歌“たきび”の歌碑
こちらは『萬昌院功運寺』
吉良上野介の菩提寺です。ちなみに愛知県にも菩提寺があります(愛知県西尾市吉良にある華蔵寺)
お墓の写真を乗せるのを躊躇いましたが、今回、教えてもらったことを伝えたい!
吉良さん、実は悪者ではなかったんです。写真には写っていませんが、墓所には、赤穂事件で亡くなった忠臣の名と年齢が刻まれた墓誌も建っています。この事件で料理人のような若者まで殺されてしまったんです、なんだかお話を聞いて切ない思いになりました。
こんな感じ
一番上で撮った神田川地点付近の川沿いを走っているときにあった『神田川』歌碑。
またまた、石臼!
中野坂上にある『石森製粉』本社前の石臼です。こちらは、平成26年2月、中野区認定観光資源に設定されたそう。製粉業が盛んであった証、中野の大切な資源ですね。
宝仙寺の仁王像です。
『宝仙寺の石臼塚』。ここにも石臼。せっかくなので、中野の石臼の由来を。
中野区と新宿区との間を流れる神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を挽くことに使われていた。
そばの一大消費地となった江戸・東京に向けて玄そばが全国から中野に集められ製粉の一大拠点となり、中野から東京中のそば店に供給されたため、中野そばとまで言われるようになった。
その後、機械化により使われなくなった石臼は道端に放置され見向かれなくなっていった。
それを見て当山、宝仙寺第50世住職富田敦純大僧正(宝仙学園創立者)が人の食のために貢献した石臼を大切に供養すべきであるとして、境内に「石臼塚」を立て供養した。
(中野区商店街連合会・中野法人会より)
『やままさ醤油醸造所のレンガ塀』は小さな公園の一角に一部が移設され残されているのみだそう。まちのちょっとしたところに、歴史的なものがある中野は、とっても素敵なまちです。
鍋屋横丁を通過
妙法寺詣道
こちらが妙法寺です。中には入らず、入り口でお話を聞きました。この頃には、雨が降りだしていました。ちょっと強めの小雨。結構濡れました。
蚕糸の森公園です。
入り口から見た公園。中には入らず通過。
中野には、大きくて自然がたくさん、素敵な公園が多くて羨ましいです。
中野は小劇場もあるんですね。知らなかった。ここからは、もうゴールのサンプラザ中野は間近です。そうそう、サンプラザ中野、無くなってしまうんですよね。誰もが知る建物が無くなるのは、なんだか寂しいですね。
練習不足でランは辛かったけど、楽しみながら歴史も知れて、とてもいい経験が出来ました。